あの頃の私は「自信がない」「自己肯定感低すぎ」この2つで構成されていたような気がします。
「自分の居場所がない」と焦り、集まりに顔を出せば浮き、
海外経験も大学で学業に没頭した日々も誇れること!だと思ってましたが
当時は「人と違う」というだけで孤独を感じ.....
自分を作った過去の経験がただただ苦しく感じていました。
今までの海外生活とは違う孤独感、「所属」がない私
結婚を機に夫の働く国へ引っ越しました。東南アジアに住むのは3か国目。こんなに苦労するとは思いもしませんでした。
独身時代3年程、東南アジアでとても濃い経験をしてきました。
散々食あたりでお腹下しましたし、虫がいるのは当たり前、シャワーなしの家に住んでいたこともあったので
引っ越した当初はローカル食の衛生水準の高さ驚き
加えて英語が通じる国だし、現地語もなんとなーく分かるし
余裕で慣れるっしょ!という軽い気持ちで始まった夫との生活。
もちろん生活は「快適」そのものでした。
むしろこんなに快適でいいの?と、少し不便さを求める程に。
では何が違うのか?それは「所属」する場所がないということです。
引っ越し当初は、1人であちこち歩き回り
早く慣れよう、早く土地勘を掴もうと忙しかったのですが
2週間もたたないうちに「私ってナニモノ?」という感覚に襲われるようになりました。
これまでの東南アジア生活は、自ら赴き
目標達成のため1分1秒も無駄にしたくない!成し遂げたい!という気持ちでした。
しかし今回は「結婚を機に」という理由であって
私はただの「奥さん」でしかない。
自分の無力さに落胆し、徐々に自信をなくし自己肯定ができなくなってしまいました。
あれ?「経験」が邪魔?
孤独感もあって同じ立場の人と話したい・・・と駐妻さんたちとのお茶会に参加しました。
しかし、話すたびに違和感が・・・
どうしても上手に話を合わせられない自分がいました。
住んでいた国訛りの英語にも慣れ始め、現地語も少し覚えてきた頃だったので
「英語が分からない」「英語の質が悪い」「英語の訛りが無理」という愚痴に同調できず
むしろ「えーっ、めっちゃ可愛い言い回しじゃん!」「少しずつ私も覚えてます!」「現地語も割と覚えやすいですよね」なんて言うと、そりゃ浮きますよね(笑)
中でも、とても過ごしやすく感じている国ということもあり
愚痴大会が始まると本当に辛いものでした・・・
「時間通りに業者が来ない」「歩道がない」「道がデコボコしてる」など鉄板ネタや
日本と比較することに同調できない自分がいました。
歩道あるし、道に穴開いてないし、信号守るし、治安いい最高じゃん!と思っていましたが、それを言えば浮きましたし
文句を言い合う場では誉めてはいけない、と聞き役に回るようにしました。
旦那の愚痴大会でも感覚のズレを感じていました。
自分たちだけの話をしててくれればいいのに
新婚だった私の愚痴を引き出そうとする人がいてゲッソリ。
(出張が多いことくらいしか嫌なところがなかったので面白くなかったみたいです)
他人に評価を委ねていた私
他人に評価してもらうこと=自分の価値というものがこれまでの人生の中で染みついていましたが、
この時期、自信をなくし孤独を感じていた私は
いつも以上に他人からの評価を気にしていたように思います。
同じ「奥さん」という立場の方とのお喋りで
共感できない、共感してもらえない、という状況に孤独を感じ
自分は何の価値もない人間だと落ち込んでいきました。
「東南アジアに住んだ経験がなければよかった」
「一緒になって文句言えればよかったかな」
という気持ちが大きくなり(今となっては信じられないですが)
私は同い年くらいの奥さん達とも分かち合えない・・・
私ってどこにも属せない人なんだ・・・と自己否定が強くなった時期でした。
そこから「溢れる人」でいいじゃない
どんどん堕ちて行くだけの毎日は本当に苦しかったのですが
夫は必ず味方でいてくれたので、引きこもることなく
それなりに過ごすことができました。
自分自身「駐妻」カテゴリーに無理やり自分を当てはめていたところがあったので
色んな人と話してみよう!と趣味の集まりや言語交換などに顔を出し
留学できてる人、現地で働いてる人、事業をしている人、、、
色々な人との出会いによって少しずつ視界が開け
カテゴリーから「溢れる自分」でいい、と、肩の力を抜くことができました。
■夫
どうしても辛くなった時に
「なんで自分にはあんな経験があるんだろう。それが本当に辛い。カテゴリーに属せない」
「過去の経験さえなければ、共感しあえて楽しいのに」
と言ったことがあり(夫的には、何言っちゃってんの?と驚きだったはず)
「逆にその経験なかったら結婚してない」「現地を取り入れながらの生活なんてその人達にはできないでしょ」とばっさり伐られました。
■気の合う人
駐妻に限定せず、留学できている人、現地で仕事をしてる人、自分で事業をしてる人
色々な出会いがあり、気の合う人が見つかったのは大きかったです。
また、駐妻の中でも、この国居心地いいね!を共感できる人が見つかったり
あまり話したくなかった東南アジアでどんな生活をしてきたのか話を
キャッキャッ笑ってくれる、そんな人との出会いは本当に大きかったです。
■気づかせてくれた人
たまたま過去(同時期くらい)に同じ国で過ごしてきた人と知り合って
2人でいかに東南アジアが好きで、前いた国も今の国も気に入っているか意気投合した時に
「ゆーさんは、今の国も来たくて来たんですね」と言われ
あ・・・そうだ、そうだった・・・!と思い出すことができました。
■自分を持っている人
夫を含め、この時期出会い助けられた人への共通点は
「自信を持っている」「自分の価値は自分で決める」でした。
それと同時に他人に自分の価値を委ねている自分に気づきました。
決定打になったのは知り合いが、セレブアピールする人に向けて放った一言
(ちなみに後で知ったのですが、この人はガチの金持ちでした)
「人に羨ましがられて自分の価値が高まると思ってるから残念なんだよ」
他人の評価ありきなんだ、と当時の私にはぐさりと刺さりました。
その後の行動(具体的な例)
カテゴリーに自動分類されてしまうことは仕方ないかもしれないけどまずは自分の心地の良い世界を作っていくことを第一に掲げて動きました。
1.これまでの趣味を継続する(好きを否定しない)
音楽が好きなのでギターを購入
写真を撮るのが好きなので、現地の写真好きとコンタクトをとりイベント参加
国際情勢の観察や分析を続ける(趣味ですw)
言語交換のMeetupに参加
(趣味の友達と話すために現地語の勉強にも熱が入りました!)
2.学生時代の友達に連絡する(過去を共有する)
あまり過去は振り返りたくないのですが
「すごく充実していた!」時間を共有したくて連絡しました。
そして「私ならできる!」とたくさんの勇気をもらいました。
3.自分自身と向き合う、新しいことをはじめる
1,2で自信を取り戻していき、今なら向き合えそうと思ったので
自分の歪んだ思考に向き合うことをはじめました。
本を読み実践、DaiGoさんの動画を見て実践、
(※なぜDaiGoさんか?あの量の本や論文を自分で読む力も時間もないと感じたからです。なので紹介にあった本はなるべく読むようにしています)
自己を肯定する、過去を肯定する、居場所を作る
「私はナニモノ?」に対して「私は私」と答えられるまで時間がかかりました。これまでは「〇〇大学の学生」「〇〇会社〇〇部」など所属があり、ある種のアイデンティティと化していたこと
また、他人からの評価と「自分の価値」を直結させていたこと
この2つと向き合い、どう付き合っていくか(改善していくか)考えられたのは
とても大きかったように感じます。
現在はリモートワークをしながら学校に行っていますが、それでも私は私です。
何かしらのカテゴリーがあったとして、そこから溢れ出てしまっても私は私です。
何語が話せるとか、どの国に住んだことがあるとか
自分から話すこともなくなりました。そこに頼る必要がなくなったからです。
(話の流れで言うことはありますが)
最後に、あの頃の自分へのアドバイスを。
駐妻は駐妻としか仲良くしてはいけない決まりはないし
一緒にいて自分で自分を否定してしまうのであれば、合う人を探せばいいだけ。
買い物する場所や住んでる場所で比較する人は相手にしないでいいよ。
今までの経験があるから今のあなたがある、
その経験はあなたの魅力を構成する一部だから、自分で否定しないで。
気の合う人は必ずいるから、自分の居場所は自分で作っていこう。